リノベーション 名古屋からの良いご提案!

わが国では最近、ゆとり教育が流行っており、学校の授業時間を減らしているようだが、見当違いなゆとりではないかとの思いがよぎる。
ゆとりとは「心のゆとり」であり、「時間のゆとり」ではない。 むしろ厳しくきちんと教育された方が、心にゆとりが出来るものだ。
よそで若いお嬢さんを観察すると、もちろん車内でお化粧などは論外だが、素敵な漂々とした美人、生活美人に会うことがある。 素敵なご両親のもとで育ったのだろうことが容易に想像できる。
家庭教育のレベルは、子供を見れば解ってしまう。 教育は、時には厳格さも必要である。
あの時その祖母に怒られた時は恥ずかしかったが、今になって思えば祖母の厳しさはとても有難かった。 昔は「がんこおやじ」がそこらにたくさんいて、道端で「がんこおやじ」に怒られている子供を見るのも珍しい光景ではなかった。
最近は「がんこおやじ」を見ない。 我が家のトイレに初めて入った人は、二度目にはノートとペンを持って入っていく。
そして、しばらく出てこない。 我が家のトイレの壁には、講演会やセミナー等で聞いた「なるほど!」と思う言葉や格言、詩など、心に残ったワンポイントがぺたぺたと所狭しに貼ってある。
その言葉を写すために、二度入るというわけである。 私は、講演会等で感銘を受けて「そうだ、これは覚えておこう!」とその場では思っていても、「何の話を聞いたかしら…」と忘れてしまうことが多かった。
そのため、話のポイントを書いてトイレに貼っておけば記憶に残るに違いない、と思い始めたわけだが、意外な効果があった。 当たり前のことであるが、トイレに入るのは私だけではない。

子供達も、トイレに入れば無意識に読んでいたという。 知らず知らずのうちに、そこから元気をもらうこともあったらしい。
ある時、私が「うーん」と頭をかかえて悩んでいたら、娘に一言「蒔いた種、刈り取る覚悟があったはず」と、ぴしゃりと言われてしまった。 なるほど、そう言えばトイレに書いてあったなあ…と思わずハッとした。
確かに、すべての出来事は自分で蒔いた種。 種を蒔かねば、大きくは育たなかったのだった…と気をとりなおして元気を出したものだ。
ある時、トイレの中で末娘がぶつぶつ言っていた。 いったい何をしているのだろうか、と思っていたら「ああ、すっきりした」と出てきた。
何をしてたのか?と問いたところ、元気になる詩を読んでいたらしい。 「もう、暗記しちゃったわよ」と言う。
今では子供達も大きくなり、トイレに貼ってある紙も古くなって数枚残るのみとなったが、その数枚のうちの一つが「蒔いた種、刈り取る覚悟があったはず」であった。 受験の時や何か壁にぶつかった時、子供は親がいくら何をいってもあまり聞いてはいない。
もちろん、親は少しでも心に留めてほしいとの思いで言い続けるが、あまり効果はない。 しかし、難しい思春期の子達もトイレでは自然に格言や詩を目にし、そこから元気まで貰っていたようである。
ちなみに、受験の時元気をもらった詩は完全燃焼であった。 長い詩だったが、人格にふさわしい出会い運命は誰と出会ったかで決まる人格にふさわしい出会いしかない自分自身の人格を高めよう。

自分の存在が人の喜びにつながるこれがやさしさよりグレードの高い出会い空気が動く感じる心が空気を動かす運命が変わるかと燃えて周囲を照らせ…不完全燃焼で悔悟の涙をながすな…という詩は、確かに元気になる。 その他、貼ってあった詩は子供達が大きくなるとともに剥れ、かびが付いたため、トイレをリフォームした際にほとんど剥してしまった。
しかし、自分を励ますためにも今でも貼ってあるものがある。 「きたないでしょ!」と言われないように、はじの方にひっそりと。
子供に性について聞かれ、その返答に困ったことがある方は少なくないだろう。 私自身、どこまで話せばよいのだろうか、とまどった記憶がある。
嘘を言わないまでも話をはぐらかしてしまったり、時には子供が質問した以上の話をしてしまいかえって子供を混乱させたり…と。 親の方が当惑してしまうものだ。
この性問答の五原則は、なるほど的を射ていて無駄がない。 我が家では、ほほえましい性教育のエピソードがある。
お兄さんに「男とはどういうものなのか?」と質問していた。 私はお勝手で料理を作りながら、いったいどんな受け答えをするのだろうかと、隣の部屋の様子を気にしていた。
突然の性に関する質問に兄達は、初めはドキッとしていた様子だったが、その内、画用紙に図を書いて説明をし始めた。 四人でわいわいやっている。

途中で、兄の友人が家に遊びにやってきた。 最初は図と会話の内容に真っ赤になってドギマギしていたようであったが、あまりの生理学的会話に「男はこうだよ」と仲間に入り説明し始めた。
私の入る余地はまったくなかったが、素晴しい性教育が自然になされている様子に、感心してしまった。 おろおろしたエピソードもある。
三姉妹で育った私には兄弟がいなかったので、男性というものがいったいどう成長していくのか判らない。 長男が五年生の時、ベッドの下からいかがわしい本が出てきた。
そんな本は、私の育った三姉妹の家庭にはあるはずもないものだ。 言い表わせないほどのショックを受け、どうしたらよいのかと夫に打ち明けてみた。
夫は「その年頃はそういうものだからほっとけ!」「同じじゃないの」と大笑いされたが、その時の母としての驚きや困惑は大変なものだったのである。 私は子育てで悩むと学芸大学名誉教授であったK先生に相談してきたが、その時も先生に何気なく相談してみた。
「子供がヌード写真を持っていたからといって、あわてふためくことはありませんよ。 子供のこの年頃でそういうことに興味がでないようでしたら、むしろそのことのほうが心配です。
子供は正常に育っているのですよ。 ヌード写真は、そのままにしておくのがよろしいのです」と言われてしまったが、すでに時遅し。
ごみ箱に捨ててしまった後だった。 二男二女を育ててみると、男と女の違いが良くわかる。
生まれた時の泣き方、興味の示し方、考え方に至るまで、まったく違う。 本当に男女というものは違うものだと実感。

我が家の兄弟姉妹は、非常に仲が良いと思う。 いわゆる今風の男女平等ではなく、それぞれ男女には特性があることを兄弟姉妹関係の中で自然に身につけているからこそ、お互いが認めと、あまり気にも留めていない様子。
そうかなぁと思いつつも、何だか納得がいかない。 そこで私は、どうせ見るならもう少しまともできれいな本を…と思い、出てきた本は処分して「P」という雑誌を買って、息子の部屋に置いておくことにした。
その話を後で友人にしたら合い尊敬し合えるのだろう。 親としては、これはとても有難いことだ。
家庭は、力強い男とやさしい感性の女が一つになり出来あがる。 違う特性の父性と母性が融合した時そこに不思議なエネルギーが湧き、力が出る。
今の時代、何でもかんでも平等といわれるが、全ての人間を平均化することを平等と捉え間違えているような気がしてならない。 本来、平等とは、その人の特性や能力を生かしたうえで成り立つものだと思う。
平等の意味を捉え間違えたために、能力の芽がつぶされ学力も低下してしまっている。

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